頭の中のこと

頭の中

頭の中01[ものをつくってうるわけ]

頭の中02[デザインとアート]

頭の中03[ぼくのいきかた]

頭の中04[えんのなかをさまよう]

頭の中05[ゆびさきのかみさま]

頭の中06[ふつうのひと]

頭の中07[しぜんのおかげ] 

頭の中08[はなといし]

 □名前
 新田 倫平[にった りんぺい]
□誕生日
 1985年12月26日
□血液型
 不明(両親はA型、次男O型、三男A型、長男は不明)※判明しました。A型のRH+です。
□経歴
1985年
東京都三鷹市で誕生(その大事な一瞬は潜在意識にはない。悔やむ。)

1986年
太る。太った姿と光GENKJIの差に絶望する。先天的敗北という言葉を知る。

1987年
人工ミルクの影響で太ったことに気付く。元来自分の見た目を気にするタイプだったので、ダイエットを開始する。

1988年
父が仕事に行ってしまう絶望から、『折り紙をマジで食べて気を引く』作戦を思い付き実行するが、嘘だと思われて相手にされない。同情に訴える子供っぽい作戦は効果的でないことに気付く。3才にしてビデオデッキを操り、スターウォーズとインディージョーンズの同じシーンを繰り返し観る。

1989年
東京都府中市に転居。弟が家に来た。「どこから来たの?」と聞くと、「お前の母の子宮から。」と答えられるが子宮という言葉を知らず、「母の地球」という弟の文学生に惹かれ、言葉に対する興味が高まる。

1990年[年中さん]
白鳥幼稚園に通い始める。何の因縁か、入園式で輪になって座る善良な児童達の椅子を1つずつ、何かを確かめるように蹴って回った。(両親談)

1991年[年長さん]
さつまいもの絵を描いたり、友達と物語をつくって絵本をつくったりした。良い幼稚園だった。
 5才の誕生日を迎えるまで、大人の年齢はみんな『5才』だと思っていた。誕生日を迎え、まだ大人になれないのかという絶望を感じた。

1992年[小1]
さあ。小学校が始まるよ。厳しい先生だと覚えている。弟がお菓子を袋に集めていてそれが欲しかった。

1993年[小2]
音読に目覚める。独裁教師の判断で巧いと認められると、相撲の階級に準えて『幕内 小結 大関 横綱』と昇進できる制度があった。純真無垢な新田倫平は1早く大関に上り詰めた。しかし、それから横綱になれずというか、クラスで誰も横綱になれず、「こんなのありかよ。」という集団性無気力症候群を誘発した。
 教師の理想に到達できなかった不甲斐なさを同士と分かち合う。

1994年[小3]
日記を書く宿題が始まる。初めは真面目に書いていた気もするが、最高のフレーズ「今日は天野くんと遊んで楽しかった。」を知ってからは、そのフレーズを書き続けていた。1度だけ6頁くらいにわたり、飛べなくなったカラスを公園で見付けた話を書いた時は褒められた。

1995年[小4]
先生に怒られた。9割の確率で僕が悪かったが、記憶に残るのは1割の濡れ衣です。先生は10割バッターじゃないといけないことを学ぶ。サンタさんがビートルズのCDをくれたり、スピッツに出会ったり、音楽に救われ始める。詩に興味をもつ。日記の宿題なのに勝手に詩の連載を始める。初めて書いた詩は今でも覚えている。2句目までの対句(当時は対句なんて知らないけれど)が大好きで、後半の対句は頭の中をフル稼働させて何とか書いた記憶がある。対句好きはここに始まった。本邦発公開。
 「題名は忘れちゃった」
 どんぐりぽっくり秋が来て
 落ち葉がひらり風がふく
 空が真っ赤にきれいになれば
 落ち葉もまねして赤くなる
 海が真っ赤にきれいになれば
 魚もすやすやねむるだろう

1996年[小5]
不思議な友人関係をつくる。あ、サッカーも習っていた。サッカーは大嫌いだった。(辞めてから好きになる。)担任の谷口先生に随分相手をしてもらった。友人のあまりいない友達と遊ぶ楽しさを知る。みんなが知らないところでみんなの知らない時間を過ごす心地よさを感じる。そんなエゴで遊んでいるのに「新田くん、彼と遊んでくれてありがとうね。」と筋違いの感謝をされる。谷口先生は筋違いで怒ることは1度もなかったが、筋違いに褒められることは何度かあった。これは嬉しいし、生きる力になった。

1997年[小6]
家でよく怒られていた。「何でそんなに怒るんだ!」と僕もよく怒っていた。「寝る前に怒ってると、ホルモンバランスが崩れて悪い夢を観るわよ。」と、怒られた後に言われるものだから余計に怒っていた。ぷんぷん。スピッツの曲「空も飛べるはず」を聴いて、どうしたらこんなに良いメロディーをつくれるのか。と探求する。ピアノで音を探し、「ソドレミミレミファミ」と辿るが、「空も飛べるはず」以外の曲はできなかった。

1998年[中1]
小学校6年間好きだった人と同じクラスになれるかドキドキだったけど、有り余る運を使い事無きを得る。入学時は周りと一線を画すため松葉杖で登校する。入学前に母親と口喧嘩をして逆上した末、風呂場のガラスを蹴飛ばしたのが原因。ズボンに染みた血液がすねにはりついて、「血って冷たいんだ。」と思った。「良かったね〜切れたのが内側で。外側だったら、歩けなくなってたよ。」と医者に言われて、それが1番怖かった。未だに蹴った瞬間をフラッシュバックすることがある。家族へ、ガラスを蹴ってごめんなさい。
 1999年[中2]  音楽が大好きで、吹奏楽部に入る、という希望は家の掟「中学生は運動すべし」にひっかかり、挫折。しかし、卓球部の活動に打ち込む。顧問の山本先生は、今でも僕のことを気にかけて下さっていて大好き。かなり狂った指導「夏に暖房をかけて猛練習」という熱血具合に引きながらも、「俺、Mかもしれない」という感情が芽吹いた。数学の試験中焦りにより(直接聞いて下さい。R25の内容です。)大の仲良しだった榎本くんと喧嘩して、部活で気まずい感じになり苦しむ。でも「俺、Mかもしれない」。ビートルズとスピッツとソフィアと宇多田ヒカルとブルーハーツをよく聴いてた。  2000年[中3] 塾の帰りにアイスを食べる、という快感に浸る。吉岡くんは、アイスで友情が深まった唯一の友達です。
知り合いが1人もいない学校が良い。という理由で他学区を選ぶ。塾の高橋先生の髪型が不自然だった。

2001年[高1]
つづく

 

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